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ひな祭りにはまぐりのお吸い物を食べる理由は女の子の幸せを願うため?

ひな祭りの御馳走として有名なはまぐりですが、何故はまぐりのお吸い物を食べるようになったのか知っているでしょうか?

今回ははまぐりのお吸い物を食べるようになった由来から、意外と知られていないマナーをご紹介します。

はまぐりを食べる理由

はまぐりの貝殻は、平安時代には『貝合わせ』という、貝殻の内側に絵柄を描いてそれを神経衰弱のように合わせる遊びで使用されていました。

はまぐりの貝殻は一見全て同じに見えますが、絶対に番でないと綺麗に合わさる事がないのです。

貝合わせとは番の貝を探して合わせる遊びなのですが、はまぐりのそういった性質から、『仲の良い夫婦』が連想され、ひな祭りにはまぐりを食べる事は、『夫婦円満で一人の相手と一生を添い遂げられるように』という願いが込められているのです。

はまぐりではなく、あさりの家庭もある!

ひな祭りははまぐりのお吸い物を食べるものであると考えている方が多いと思います。

確かに上記で述べた様に、親達は子供が将来一人の人と添い遂げられるようにと願い、はまぐりのお吸い物を用意すると言われていますが、『あさり』のお吸い物を出す家庭も存在しています。

はまぐりのお吸い物の筈なのに何故…?実は、それは三月三日という日にちにも関係していたのです。

三月三日はその昔、大潮の日で非常に良く貝類が獲れていたそうです

そして、貝類が最も美味しい時期である事も手伝って、上記の番でしかぴったりと合わさらないはまぐりを食べる習慣が出来たと言われています。

しかし、その際にあさりも良く獲れていた為、三月三日にあさりを食べる地域もあったそうです。

それが要因となり、その名残で現在もはまぐりではなく、あさりのお吸い物を食べる家庭があるとされています。

特にどちらが正しいという解釈はありませんし、子供の幸せを願う気持ちが込められていれば構わないそうです

はまぐりのお吸い物を食べる用になった時期

元々ひな祭りは宮中行事で、中国の漢時代に徐肇という方が女の子を三人産んだのに三日で三人とも亡くなってしまい、三人が亡くなったのはいずれも祟りであると信じた徐肇が水浴びをした事から、上巳の節句の日に亡くなった事とその時期に丁度桃の花が咲く事で桃の節句と呼ばれたのが起源だと言われています。

そして、はまぐりが食べられ始めたのは、武家社会になってから、丁度三月頃はまぐりが美味しい時期であって食べていた事と、その当時は非常に験担ぎが重要視されており、勝栗の様に、勝利をもたらして出世を手伝ってくれると信じられた事で、はまぐりを食べ始めたそうです。

その後、江戸時代頃にその形は変化し、ひな祭りで娘に食べさせる事で、幸せな縁を掴んで末永く一人の相手と添い遂げられるようにと願いを込めた現在の形が生まれたと考えられています。

終わりに

昔の人が真剣に娘の幸せを願う気持ちが現在にも受け継がれているのは素晴らしい事ですね。

皆さんもぜひ、ひな祭りの日にははまぐりのお吸い物を食べて、女の子の幸せを願ってあげてくださいね。