ひな祭りの御馳走と言えば、菱餅、ひなあられ、はまぐりのお吸い物にちらし寿司ですよね。
毎年デパートなどでも華やかでとても美味しそうなちらし寿司が陳列されていますが、いつからちらし寿司を食べる文化が出来たのか知っていますか?
今回はちらし寿司にスポットを当てて、その起源や意味を紹介していきます。
ちらし寿司を食べる意味
ちらし寿司をひな祭りに食べる意味は、子供の健やかな成長を願う菱餅や、夫婦円満で暮らしていける様にと願うはまぐりのお吸い物と違って、実は特に無いと言われています。
そもそも、ちらし寿司が生まれた理由というのが、ひな祭りとは全く関係ないのです。
江戸時代の備前の大洪水をきっかけに、播磨姫路藩第3代藩主の池田光政は復興を早めようと質素倹約を徹底しました。
その際に編み出された案が、『一汁一菜令』という、汁物と副食一品以外は摂ってはならないという厳しいもの。そこで領民達は、野菜や魚を沢山混ぜた寿司飯を一菜とする作戦を思い付き、そこからちらし寿司が誕生したと言われています。
具材の意味
現在のちらし寿司の具材にはきちんと意味が込められているので紹介していきますね。
まず、エビはくるんと丸まっている見た目から、『長寿』の意味があり、長生きをして欲しいと言う願いが込められています。
また、赤色には魔除けの効果があると信じられており、エビが脱皮を繰り返す様子も『出世祈願』と考えられ、非常におめでたい食材となっています。
はすは、その見た目も手伝って穴から先を見渡せる事から、『先の見通しが利くようになる』と考えられています。先の見通しが立てば、仕事も上手く行きますし厄災も避けやすいですよね。
豆にはお正月にも食べられる豆と同じ意味が込められており、『まめまめしく働く(働き者になるように)』と言われています。菜の花は彩を意識して付けられているだけのようです。
ひな祭りに定着した理由
ひな祭りにちらし寿司を食べる文化は、平安時代まで遡るとされています。
江戸時代に生まれたちらし寿司が平安時代に存在する筈はありませんので、平安時代には『なれ寿司』という、現在のちらし寿司同様に、エビやはすなどの喜ばしい意味が込められた具材が使われた彩鮮やかな寿司が食べられていたのです。
しかし、いつの間にか時代を重ねるごとになれ寿司はちらし寿司と見た目が似ている事もあって、ひな祭りにはちらし寿司が食べられるように変化していったところ、現在の文化が生まれたとされています。
終わりに
ちらし寿司を作る時は、上記を参照に具材の意味にもこだわって作ると良いですね。
具材一つ一つに込められた想いを大切に、美味しいちらし寿司を作ってくださいね。